な~たのブログ 34年+

自分の中では当たり前の日常、人生。だけど、人に軽く、さわりだけ話したときに、大変なんだね…としみじみ言われ、客観的にも見てみたく、書いてみたいな、と思いました。

小学校時代

小学校の頃は少しずつでも家計は楽になってきてたんじゃないかと思います。


3年生の頃には町の合唱クラブやスイミングに通わせてくれたり、5年生の頃からは学校内のブラスバンドに入らせてくれたりしていたし。



確か3年生の時に、下校したら暇だろうから、とファミコンを買ってきてくれました。




でも母の生活は相変わらず。



家の中はキレイだったことはありません。




私は一年生の頃から、自ら鍵っ子を選びました。


友達と都合が合えば一緒に帰ったり一緒に遊んだりしたけど、友達が習い事の日は1人で帰って宿題を済ませ、1人でゲームや漫画で時間を潰す。


1人の時間は昔から好きだった。


けど、何度か恐い思いも。



一度目はまだ一年生のとき、4時頃電話が鳴り、出ると男の人の声で「今から泥棒にくるよ。家にいたら殺しちゃうよ」と言われ、全ての鍵をかけ、愛犬を抱えて父の実家へ孟ダッシュ💨



後で親には「宣言して泥棒に来る人なんかいないよ」と笑われましたが、子供には非常事態でした。



そして4年生の頃、1人で下校中に、ふと後を振り替えると、地元の中学校のジャージの男の子。違和感を覚えてチラチラ見ていると、自分の股間をさらし、弄りながら一定の距離を保ってついて来るんです。



怖くなって狭い裏道を必死に駆け抜けました。


警察には届けましたが、捕まったという話は聞いていません。



今思えば裏道に入るなんて危ないことしたなと…





それと、父の実家、本家には私より5つ上の従姉がいますが、私が現れるまではその従姉が従兄弟の中では末っ子、祖父母にとっても末孫で可愛がられていたと思いますが、まだよちよち歩きの小さな私が来たことによって従姉のポジションを奪う形になってしまったんだと思います。



保育園、そして、小学生になっても土曜日の午後などは本家にお世話になることもありました。



従姉は普段は優しかったのですが、大人のいないところでは、私を叩いたりつねったり、罵られたり。私は内心ビクビクしながら本家へ行っていました。


いろいろあったけど、一番覚えているのは一年生のとき、従姉と自転車で川原へ行ったときに、補助輪の自転車に乗っている状態の時に横から押され、石の上に自転車ごと転ばされ怪我をしたこと。


怪我までしたのは初めてで、大泣きする私に「自分で転んだって言うんだよ!本当のこと言ったら私が怒られるんだからね!な~たは自分で転んで怪我をしたんだからね!痛くないって言うんだよ!」と怒鳴っていました。



足を2針ほど縫う怪我でした。


家に帰っても泣いている私に、母がどうしたのか聞いてきても「なんでもない。自分で転んだの。痛くないよ。」と答えました。子供ながらに親に心配かけたくなかったのと、従姉からの仕返しが怖くいのと、本家にお世話にならないと親が困ると分かっていたから、本当のことは言えませんでした。



いまだに、従姉にいじめられていたことは、誰にも言っていません。




でも、その後従姉からの攻撃は無くなった様に思います。





それと、保育園~小学校低学年にかけて、カミソリで自分の掌を切って遊んでいた時期があります。ざっくり、ではなく、薄く、血がにじむ程度だったような気がします。


切れるときの感覚が楽しかった記憶があるのですが、いまだにその時の自分の行動は謎です。


誰か子供の心理に詳しいかた、教えて貰えればスッキリできます(^^;



なんか、小学校時代とか関係なくなっちゃいましたね。



今思い付くのはこれくらいなんで、思い出したらまた書いてみたいと思います。